あなたが人々で埋まった部屋の中に座っていて、誰かが率先して何かやることを求められた直近の出来事を思い出してみてください。多分、あなたは手をあげようとは思ってもみなかったけれど、隣に座っていた人がさっと手を上げ、「私にやらせてください。」と言うのを見たかもしれません。さあ、正直に言ってみて下さい。どんな考えがあなたの頭をよぎりましたか? 「おお、なんと、みんないつも自発的に申し出るんだ!きっと彼らは知識が豊富なのに違いない。」とか「どうやってみんな答えを知っていると思えるんだろう?なぜ、自分は専門家だと、いつも思えるんだろう?」でしょうか?
これらの熱心なボランティアたちは、大方、手を躊躇なく上げることのできる、あるレベルの自信を持っているように見えます。しかし、時には、傲慢さがボランティア主義の元になっているのではないか、という考えが頭をよぎることもあります。(そして多分、私たちは、彼らが疑いを持たないことに、少し嫉妬を感じているのかもしれません。)けれども私は、自信は傲慢と同じ、という仮説に反論したいと思います。長年の経験や、あるレベルの専門性に達することからのみ自信が得られるとか、あなたが自信満々なら、あなたは傲慢なのだと人は思うものだと、私たちはしばしば考えます。
私はあえて言います。これらの推測は全て間違っています。
しかし、ちょっと待って下さい… 私たちは、皆ここではコーチです。なら、どうして自信なんかについて話しているのでしょう?自信とは、私たちの顧客をそれで助けるだけではなく、私たち自身がコーチとして、コーチング実技を構築することに使うものでもあるのです。自信のもう一つの側面にあるものは、(自発的に記事を書いたり、イベントで講演することに署名したり、もっと多くの人々を助けられるように新しい顧客の候補に話しかけたり)私たち自身の事業を成長させるのに必要なものなのです。そしてもし、我々が進んで手を上げて「私が喜んでやります」と言わなければ、事業を成り立たせるのに苦労することになるでしょう。ネットワーキングとは、あなたが知っている人のことだけではなく、あなたが知っていることを知っている人のことでもあるのです。だから私たちは声を上げて話をすることを求められるのです。
私たちはみんなコーチングが好きですよね!私たちはコーチングの力や効果には何の疑いも抱いていませんが、問題の渦中に身を投じている時は、疑いや不安が心に忍び寄って来るものです。私はどんな専門性を持っているのだろうか?イベントで話をする時に、私が他の誰よりも上手にできるようにしてくれるのは何だろうか?現実に戻ってみましょう。私たちが知っている以上によく知る人は必ず誰かいます。しかし、私たちはいつも経験や専門知識が豊富な人々だけに全ての仕事を委ねるわけではありません。私たちは手を上げる自信をどうやって持つかを学ばなくてはなりません。
私たちは傲慢に見えるようなことはしたくありません。しかし、私たちのことをどう思うか、他人の考えをコントロールすることはできません。自信は、あなたが全てのことを知っていると言うことではありません。しかし、傲慢は、しばしばそのように言うことがあります。自信は「私はこの議題やイベントや記事について、役に立てると信じています。」と進んで言い、傲慢は「私は既に全ての答えを持っています。他の誰の助言も要らないし、質問もしたくありません。」と言います。―(これらの連中には何の成長も学習も起こらないでしょう。)紙一重のように感じられますが、誰かが自信に溢れていると言うより傲慢である場合、ほとんどの人々にはそれがわかります。
その鍵は、私が信ずるに、謙虚に生きる(偉ぶらない)能力、それは「自分自身の重要性に対しての控えめ、または低い視点」と定義付けられるものの中に見られます。それはあなたの能力を推し量ることではなく、地に足をつけている自身の状態のことです。もしあなたが自分はベストではないと自覚するなら、さらにもっと学ぶべきものがあることをいつも知っている、ということです。そして学べば学ぶほど、あなたはさらに良くなります。学びは私たちの常態なので、決して本当に「到達する」ことはありません。
もし傲慢だと受け止められることを恐れて生きるなら、今後私たちに訪れる全ての好機を失って人生を過ごすことになるでしょう。しかし、もしその代わりに、私たちが謙虚に生き、そして私たちがもたらす価値や、また学ぶことができる全てに、自信を持って地道に歩み続けることに集中すれば、人生は多くの新しい冒険に満ちたものとなるでしょう。
今日、あなたが実践できる簡単な方法:
- あなたは、耳を傾け学ぶことを通して、価値を生むことができるという事実に注目する(他の人々が価値を認めない時もあるけど、それはあなたへの非難ではありません。)
- 質問をし、学ぶ姿勢があるならば、あなたは傲慢の範囲からは安全に離れていられます。
- これらの機会が起こった時、手を上げて自分の最善を尽くせば、その過程で多くのものを学べることを知るでしょう。